Patient’s Voice ~多発性骨髄腫患者さんの声~
Patient’s Voice ~多発性骨髄腫患者さんの声~
多発性骨髄腫の体験をされた方が、診断時・治療中や治療後に何を思っていたのか、ご自身の体験を語っていただいた情報を掲載しています。
Patient’s Voice ~患者さんの声①~
病気を機に「1日1日を大事に!」を実践しています
きっかけは腰の激痛でした。入院の翌日には下半身が動かなくなり緊急手術に。そこでがんが発見され、術後も下半身麻痺が回復しませんでした。「もう一度歩けるようになりたい」と必死にリハビリを行い、わずかに動く片足の指先に紐をかけて刺激を与える独自のリハビリも継続。少しずつ感覚が戻り松葉杖となった段階で、多発性骨髄腫の治療を開始しました。寛解導入法でPR(部分奏効)までしかいかず、VGPR(最良部分奏効)まで自家移植をやりたくないと担当医を困らせたものです。しかし、VGPRに届かずPRのまま自家移植を実施し、地固め療法でMRD陰性を達成しました。
人は歳を重ねるほど慎重になり、大病をするとさらに行動をセーブしがちです。でも、遊びも仕事も「やりたいことを先送りしない」と決め意識を変えると生活が輝いてきます。昨年、久し振りにサーフィンをやりたくなり迷わず海へ。麻痺が残る体でパドリングもひと苦労でしたが楽しかった! 自分にブレーキをかけず今を思い切り楽しみたいです。
(57歳男性・診断から4年目)
Patient’s Voice ~患者さんの声②~
副作用は我慢せずに伝え、自分の楽しみを大切にしました
2007年に44歳で多発性骨髄腫と診断されました。治療に際し、薬の種類や副作用、体調などをノートに記録することにしました。書くことで自分の理解度が明確になり、担当医に相談する際も話がスムーズに進むようになりました。
治療薬の副作用で手足のしびれが1年ぐらい続きました。指のしびれで一時的に大好きなフルートが吹けなくなったことがとてもショックでした。しびれは外からはわかりにくく、我慢して薬を使い続けると、回復困難な状態まで症状が進むといいます。量を減らしたり間隔を空けたりするのが望ましいそうです。私は、担当医に「フルートが吹けなくならないように薬の量を調節してほしい」と伝え、自分の楽しみを大切にしながら治療を進めました。
治療の合間にはウィーンに演奏旅行に行きました。圧迫骨折したときも車いすでよく外出しました。
現在も治療継続中ですが、できないことはしかたないと考えて、できることをありがたく楽しむことを心がけています。
(58歳女性・診断から14年目)
Patient’s Voice ~患者さんの声③~
「つらい」と気兼ねなく言える仲間の存在に感謝
多発性骨髄腫という聞いたこともない病名を告げられたときは戸惑うしかなく、治療薬による副作用の不安と、病気になったことを信じたくない気持ちから当初は治療に消極的でした。しかし、セカンドオピニオン、サードオピニオンでもすぐに治療が必要と言われ、患者会のメンバーにも背中を押されて覚悟を決めました。
治療が始まると便秘や体の痛みなどの副作用に見舞われ、一時は脚のむくみがひどくて歩行に支障が出るほどでした。副作用のつらさを言葉だけで伝えるのは難しく、一番悪化した状態を写真に記録しました。診察時に提示したら薬の量を調整してもらえました。
また、見た目には病気だとわかりにくく、外出時に歩行の補助として買った杖は不調があることを周囲に伝えるサインとしても役立ちました。杖のおかげで周りの目を気にせず優先席に座れたのはよかったです。その後は二度にわたる自家移植を行い、どんなにつらくてもやり切ると決めて完遂しました。実は発症前に引っ越して周りに病気のことを打ち明けられる友人が少なく、一番の支えは患者会の仲間でした。気兼ねなく「つらい」と言える存在が身近にいたことが助けとなりました。一人で抱え込んでいたら精神的に参っていたかもしれません。現在は体調が安定し、アルバイトを始めて仕事ができる有り難さを噛みしめています。再発の不安はありますが、思い悩むことに時間を費やすよりやりたいことを楽しみたいです。
(52歳女性・診断から2年目)
Patient’s Voice ~患者さんの声④~
病気で得た経験、交流を大切に。自分らしく生きています
告知を受けたときは29歳、都内で看護師をしていました。職場の健康診断で多発性骨髄腫と診断。医療に携わっていても、この病気に関する知識はなく、告知の日は帰りの電車を乗り間違えるほど動揺し、しばらく泣いてばかりいました。
医師が提案する治療を納得して受けてきましたが、度重なる再発で前向きになれないことも。そんなときは、「先のことを考えるより今日を生きること」に専念し、親にも言えない不安はブログに書きました。仕事との両立は大変でしたが、戻れる職場がある安心感は心の支えでした。また、治療に伴う心の痛みは、同じ病気の患者仲間の存在が支えになりました。仲間と患者会を立ち上げ、患者さんたちと散歩やランチを楽しむ「はまっこ(多発性骨髄腫患者・家族の交流会)」を主催するようになりました。今では複雑化する治療を自分たちでも学ぼうと講演会も企画しています。患者会は、同じ病気の体験者同士で苦労を分かち合え、また健康であったら出会えない幅広い分野の人と交流でき、人生を豊かにしてくれる場になっています。
(45歳女性・診断から16年目)
Patient’s Voice ~患者さんの声⑤~
効果的な薬が続々と。「情報は命を救う」を実感
私は薬物療法自家移植同種移植を経験しました。再発はあったものの、免疫調節薬レナリドミドによる治療が順調に進み元気に過ごしています。
余命を宣告されても元気になったことで、「なぜ生きられているのか」という素朴な疑問を抱き、治療薬の可能性などに興味を持ちました。専門教育は受けていないものの、アメリカの血液学会の抄録や、日本骨髄腫学会の発表を聴くうちに、新薬の効果、副作用を理解できるようになりました。「情報は命を救う」と実感し、最新の情報をネット上で自分なりに発信、交流しています。治療の進歩は目覚ましく、患者には難易度が高いのも事実ですが、最新医療情報はますます重要になっています。後悔しない治療を受けられるように、患者目線で得た知識をもとにアドバイスも行っています。
多発性骨髄腫は新薬の開発という面では非常にホットな領域。再発の不安があったとしても効果が期待できる新薬が開発されています。気持ちは常に前向きです。
(72歳男性・診断から17年目)
参考資料
もっと知ってほしい多発性骨髄腫のこと 2021年版,pp.7,10,13,14,18